小説を書き始めることはだれでもできる。
しかし、終わらせることのできる人間はそうそういない。
これは、よく言われることだが、たしかに、そのとおりだと思う。
理由を考えてみよう。
まず、まっさきに思いついたことは、自由度が狭められる、という点だ。
つまり、冒頭の一文は、なにを書いても良い。
当然、その段階ではいかなる制限も受けていないからだ。
しかし、文字が増えていくにつれ、そうはいかない。
どうしても、構築してきた世界観に影響を受けてしまうからだ。
そして、これは、汎用可能な道理でもある。
小説でいう世界観の構築は、つまり、個人でいえば周囲の環境の構築とも置き換えられる。
そして、そういった指向性は、ディフェンス力を高める効果があると想像できる。
この、ディフェンスというのがわりとポイントかもしれない。
ディフェンス力を高めようと思えば、どうしても、自分の周りに幾層ものバリアを張らなくてはならない。
人間が家を造り、さらにそのなかに自室を造る、という現象を考えれば、すこしはイメージしやすいかもしれない。
しかし、本来、自由が持つイメージはもっと身軽なものだ。
なにも纏っていないし、なにものにも縛られていない。
つまり、装飾を排除しようと指向して、初めて自由が得られるのだ。
もちろん、生きていく上で、ディフェンス力は不可欠だ。
しかし、それに特化するあまり、見えなくなるものもあるだろう。
ときどき、そんなことを考えて、身軽さを求めてみる。
そうすることで、一瞬、自由からこぼれ落ちた、一陣の風を感じることができるかもしれない。