読書で得られる幸福とは、いったいどんなものだろう。

もちろん、ひとつではない。

それに、そもそも幸福とはなんたるかを追求しなくても、それを感じられさえすれば良い、とも思う。

人間はそれほどには鈍感だし、そして、知的なのだ。

さて、読書で得られる幸福である。

それは、読書をしている瞬間そのものがそうだ、というのが僕の考えだ。

つまり、創作に触れる行為はそれだけで価値がある。

いうまでもなく、受け手が翻弄され、魅了される余地がある作品なら、なおさらだ。

そしてこれは、訓練をすれば、あるいはそういう志さえあれば、だれもが得られる感覚である。

それだけ、優れた創作物は力強い。

洗練され、かつ、突飛なのだ。

そして、あわよくば自分もつねに創作家でありたい。

どんなものでも良い。

ものを創る、という行為をただ続けていたい。

もちろん、そうすることで、幸福が増幅すると信じているわけではない。

ただ単に、創作することそのものが楽しいのだ。

 

 

 

 

小説を読んでいると、たびたび、忘れられないフレーズというものに遭遇する。

それは名言のようなキャッチィなものでも良いし、あるいは、詩的で私的なものでも良い。

 

今は夏、彼女はそれを思い出す。

 

ミステリィ作家、森博嗣のデビュー作、「すべてがFになる」の冒頭の一文である。

そして、実はどんな名言至言よりもなぜか僕の心に残っているフレーズなのだ。

この一文を読んだときの衝撃を、いまでも僕は忘れられない。

冒頭の名言か私的なフレーズかでいえば、間違いなく後者に属すると思う。

派手さはないけれど、とにかく、洗練されている。

こんなに美しい言葉はないんじゃないか、とすら思う。

そう、結局のところ、小説家という人種は、美しい言葉を探すプロなのだ。

だから、優れた作品において、つねにディティールは優位だ。

ストーリィが上位にくることはない。

こうして、たまに実際に文章を作っていると、ブログレベルでも、美しい言葉を探そうとする自分が認識できる。

そんなとき、爽やかな初夏の風のように、過去に自分が揺さぶられた美しい言葉がさっとかけ抜けるときがある。

 

今は夏、彼女はそれを思い出す。

 

何度邂逅したことかはわからない。

だけれど、美しい言葉の力は風化しない。

孤独な風車のように、風に吹かれ続けているからこそ、見える景色がきっとある。